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アート市場の今とこれから2025


Art Basel & UBS アートマーケットレポート2025


序章——数字と感覚のあいだで

アートの世界は、数字だけでは語り尽くせない。

しかし、数字を知らなければ戦略は立てられない——これが私の持論です。

私は長年、金融の世界で資産運用や資産防衛の現場に立ち会い、その後アートビジネスに身を投じました。そこで出会ったのは、富裕層がアートを選ぶときの「心の動き」と「経済合理性」が織りなす不思議なバランスです。

毎年発表される2025年版のArt Basel & UBS Art Market Reportは、そのバランスの変化を数字で示してくれています。

数字は冷静ですが、私はそこに現場の温度や人の表情を重ねて読んでいます。

そして見えてくるのは——世界のアート市場は安定しているようでいて、確実に新しい波が押し寄せている、という事実です。



第1章 世界のアート市場の全体像

レポートによれば、2024年の世界アート市場規模は約670億ドル

前年からほぼ横ばい、安定的な水準を維持しています。

ただしその内訳を見ると、大きな変化が隠れています。

高額作品(1,000万ドル以上)の取引件数は減少。

一方で、10万〜500万ドルの中価格帯市場が堅調に伸びています。

これは、投資家やコレクターが「一点豪華」よりも「ポートフォリオ分散」を重視している表れでしょう。

私が現場で感じるのもまさに同じ流れです。

かつては「一生に一度の名画」への投資が目立ちましたが、今は複数の作品に資金を振り分け、テーマや作家を広げるコレクションが増えています。

背景には、地政学リスクや金融市場の不確実性があります。

アートが“美しい資産”であるだけでなく、“機動的な資産”として扱われ始めているのです。



第2章 富裕層コレクターの肖像

超富裕層(UHNW)のアート購買額は依然として世界市場の大部分を占めています。

特にアジア圏の30〜40代コレクターが目立つようになりました。

彼らはSNSでの自己発信力が高く、アート購入をライフスタイルやセルフブランディングの一環として行っています。

私の顧客の一人、香港在住の40代経営者は、5年前はピカソやシャガールといったモダンアート中心のコレクションでした。

ところがここ数年は、若手現代アーティストの作品や、デジタルアートにも積極的に投資しています。

理由を尋ねると——

「市場価値が伸びる可能性があるのはもちろんだが、その作家と一緒に時間を過ごし、作品が生まれる瞬間に立ち会えることが面白い」と語っていました。

こうした価値観は、資産防衛だけでなく、「体験」や「関係性」に資金を投じる時代への移行を示しています。



第3章 オークションの現場から

オークション市場は依然として世界のアート価格形成に大きな影響を持ちます。

しかし、以前のような派手な高額落札は減少し、静かな競り合いの中で中堅作家の作品が注目を集めています。

昨年ロンドンで参加したオークションでの出来事。

一見目立たない若手アジア作家の作品が、予想落札額の3倍で落札されました。

落札者はシンガポールの新興富裕層。

彼らはマーケットの流行を追うだけでなく、自分の審美眼と直感を信じて動いているのです。

この傾向は、市場全体をより多様でダイナミックなものにしています。

私の目には、これは単なる投資ではなく「新しい文化の共同創造」に近い行為に映ります。



第4章 ギャラリーとアートフェアの役割

ギャラリーやアートフェアは、アーティストとコレクターをつなぐ重要なハブ。

しかし、出展費の高騰や物流コストの増加により、すべてのフェアに参加するのは現実的ではなくなっています。

私は出展する際、「単なる作品展示」ではなく顧客の心に残る物語設計を徹底します。

例えば、あるフェアではVIPツアーをカスタム設計し、作品の背景や作家のストーリーを直接語る時間を設けました。

結果として、その場での即売だけでなく、後日のプライベート取引につながりました。

数字だけでは測れない「人との接点の質」が、今後ますます価値を持つと確信しています。



第5章 オンライン市場とデジタルアート

パンデミック期に急拡大したオンライン販売は、現在は安定期に入りました。

NFTやデジタルアートは、一時の熱狂から落ち着きを取り戻し、真の価値を持つ作品と作家がふるいにかけられています。

私は昨年、ブロックチェーン証明付きのデジタルアートを取り扱いました。

購入者は海外の若手経営者で、「アートが資産であると同時に、自分のブランド価値を高めるツールになる」と話していました。

このように、デジタル作品は新しい顧客層を引き込む力を持っています。



第6章 地域別トレンドと日本市場

アメリカは依然として最大市場、中国は地政学的要因で変動が激しい、英国は中堅市場として安定、中東は急成長——これが全体の傾向です。

そして日本は、円安とインバウンド需要の高まりが特徴的です。

昨秋、京都で海外顧客を案内した際、歴史的建造物と現代アートを組み合わせた展示に強い感銘を受けていました。

「この国の風景は、それ自体が額縁だ」との言葉が忘れられません。

地方創生とアートの融合は、日本のアート市場にとって大きな武器になると感じます。



第7章 アートを資産として持つ

アートは単なる装飾品ではなく、資産防衛・相続対策・社会的信用構築の手段にもなります。

私は過去に、企業オーナーの事業承継において、アートを活用して税負担を軽減した事例を担当しました。

重要なのは、「数字上のメリット」と「感情の承継」の両方を満たすことです。

富裕層にとって、アートは相続の際の分割可能資産としても有効。

さらに、美術館や公共機関への寄付を通じて社会的評価を高める手段にもなります。



第8章 サステナブルなアートビジネス

今、世界的に注目されているのは「環境負荷の少ないアート流通」。

輸送方法の改善、再利用可能な展示資材、カーボンオフセットの導入などが進んでいます。

環境意識が高いコレクターは、作品テーマや作家の制作姿勢にも敏感です。

私は大手金融機関とアートを掛け合わせたプロジェクトを企画し、持続可能な展示会運営を実践しました。

このような地域や企業とのコラボレーションは、環境負荷を抑えるだけでなく、ストーリー性と集客力を高めます。



結論——数字の向こうにある人の物語

アート市場の数字は、世界の潮流を示す地図のようなもの。

でも、実際に航海するためには、人の感情や関係性という“コンパス”が欠かせません。

私はその両方を手にし、これからも世界のアート市場を歩き続けます。



THE AER代表 岩崎かおり




 
 
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